罪悪感が癒される時。こんなにも子供を愛している自分に気づけました。

 

 

花ひらき

今ここを天国に。


すっかりソメイヨシノは散ってしまいましたね。
私の所では、
遅咲きの八重桜が綺麗に咲いていて、
桜のリレーを見ているようです。


戦前の日本は、
いろんな種類の桜があり、
咲く時期も少しずつ違っていたため、
春の間、いろいろな桜を愛でることができたそうですよ。
(戦後、焼け野原にソメイヨシノばかり植えたそうで、無くなった品種もあるそうです)

 

 

 

さて、今日は罪悪感が癒える時のお話をしていこうと思います。

 


私は、罪悪感があるのは、

 

”愛ゆえ、愛があるからこそ生まれる感情”

 

こう思っています。

 


そして、このブログでもよくお話するのだけど、
感情を感じて進むプロセスは、


それがどんな感情からであっても、
”全ては愛に還る道”

そのことを私が体験済みなのでお話するのです。


なので、私のセッションでは”愛に気づく”ことは必ず起こります。
私のスタイルともいえると思っていますし、
ブログでも気づいていただけるように書いています。

よかったら、
ご自分のことと合わせて読んでみてくださいね。

 

 


先日、セッションを受けてくださっている方から、
このような経過報告を頂きました。

 

 

・・・・・・

直子さん、いつもありがとうございます。

先日のセッションで子供のことお話してすごく楽になりました。
直子さんに、「それは、愛してるから、愛ゆえじゃない?」と言われ、
力んでいた身体から力が抜けて、
「私、子供を愛せてるの?」って頭では疑いながらも、
身体の中にはあたたかいものが出てきて、
私でも愛せてるんだ。これで、大丈夫なんだって思えていました。



あの後なんですが、

直子さんからの感情を感じきる宿題をしていて、
改めて子供への申し訳なさを感じてみたら、
以前のような重い感覚が消えていました。


セッションの時と同じように身体があたたかくなって、
子供を愛している感じがさらにはっきり起こってきました。

 

それで、根拠もなく、
このままの私で愛せていたし愛も伝わってる。
私の子だから大丈夫に決まってるって自信まで出てきました。
あの子そういう子です。
私、子供を愛していました!
もう大丈夫です!

 

なんだか、一気に変わってきてて不思議なんですが、
自分にこんなことが起きるなんて思っていなかったので急ぎご報告しました。
次回セッション、楽しみにしています。

・・・・・・

 

 

お子様に持っていた罪悪感が消えましたね。
よかった。

そして、セッションでもお話しましたが、
私達はいつも『新米ママ』ですからね。

 


子育ては、いつも新しい体験がやってきます。
子供がいくつになっても。
(私の息子は成人していますが、今もドキドキです。)



だから、いつまでも『新米ママ』でアタフタドキドキするものなんです。
慣れることなどないのではないのかな?
私はそう思っています。

 


だから、上手くできなくて当たり前だし、
ちゃんと愛せてるか不安になっていいのだと思います。



そして、その不安は、
「愛ゆえのもの」

なぜなら、関心の無い人のことにはドキドキしないでしょう?
関心の無い人のことは気にも留めないのではないかな

 

関心もあり愛しているからこそ「不安」が起こるのだと思いませんか?

 

 

そして、

この方のように「愛ゆえ」なんだと腑に落ちていると、

罪悪感ではなく、
愛を感じて安心していられるようになります。

 


その安心から、
たとえドキドキする不安なこと新しいことが起こっても、


「ドキドキする自分でいいんだ。新米ママだもん!」と
そのままの自分にOKしながらいけばいいんです。

 


愛という安心が土台にあるから、
ノープロブレム!

 

 

子供と一緒に、
一歩一歩、歩いて行きましょう。
そのままのママで。

 


泣き虫ママでも、
おこりんぼママでも、
チキンハートなママでも、
甘えん坊ママでも、
子供たちは愛してくれていますしね。
子供ってママを無条件に愛してくれる存在なんです。

 


そして、子供はちゃんと自分で乗り越えられる力を持って生まれてきています。
命って、そういうものですから。

そして、ママの中にもあるのです。

同じその力が。

 



罪悪感はそこに愛がある証拠。
だから、どんな自分でも愛から動けば、
愛しか起こりません。

 


だから、「愛ゆえ」
罪悪感は愛。
このこと、覚えておいてくださいね。

 


私は、自身の体験からそれを知っているんです。
だから、安心してクライアントさんを見守っているのです。

 





罪悪感を感じて感じきると、
愛している自分が現れてきます。

それは、本来の純粋な愛の自分。



そして、愛ではなく罪悪感に焦点を当てていると、
幸せから遠ざかっていきます。

それは、
罪ある自分は幸せになってはいけないと、
自分を鞭打ち幸せにならない方向へと人生の舵を取っていくから。
(無意識にですが、人生が絡まっていくのはこのためです)

 

 


これは、
自分を花ひらくことでも、
今ここを天国にすることでもなくなってしまいます。


自分を花ひらかせてあげたいと思うなら、
罪悪感で隠れてしまった愛に気づいていきましょう。

そして、気づいた愛を身体中に広げて味わい尽くしてみてください。


そうすれば、
癒され、今ここがすでに天国のような幸せな場所だったと気づいていけますから。

 

 

 


また、罪悪感ゆえに、
幸せから遠ざかる経験もまた人生からのギフト。

 


遠ざかってみなければ、
罪悪感を持つほどの愛が自分にあること気づくこともありませんし、
幸せの道に気づくこともありませんから。


いつでも、
どこからでも、
私達は幸せになっていけるものなのです。

 

 

 

 

 

 

裏山にて。

 

海外に住む息子から日本の桜が見たいと言われ写真を撮りに裏山へ。
あいにくの曇り空で桜は綺麗に撮れなかったのですが、
足元は桜の花びらで綺麗でした。

幸せは、こんなふうに足元にさりげなくあるもののように思います。




花ひらき
今ここを天国に。




大切なあなたへ
愛を込めて